こんにちは。

舎生日記を書くのもこれが最後かと思うと、漠然とした寂しさを覚えます。が、これからも親愛なる後輩の皆さん + ひさし、吉井さんの原稿は楽しみに読ませてもらおうと思います。めざせ新舎生10人ゲット。

さて、「不安」ということで、企業人として働くことに対する「不安」について、考察してみようと思います。

何が不安かって、これから自分がどうなっていくかわからない、「漠然性」なんですよね。色々なことが変わる。色々なことを変えざるを得なくなる。

この「漠然性」をざっくりと類型化してみると、

・学生から企業人になる。

・「独り立ち」する。

ですね。

「企業人になる」については、これまでの自分の常識が通じなくなったり新しい「常識」に晒されたりなんだりあるでしょうが、それはまあなるようにしかならないのでそこまでの不安はありません。「それなりには」できる人間だという自負はあるので、いろいろ勉強して実行していく所存です。

「独り立ちする」についてが怖いんです。バイトのような片手間ではなく、就職してお金を稼ぐようになると、私はほとんど完全に「松重」という家から独立します。縁が切れるわけではないものの、生まれてこのかた離れたことのなかったものから離れていく。否が応でも。別に金銭的な援助だったり庇護だったりをこれからも求めているわけではありません。「パラサイトシングルにならないようにちゃんと働こう、そのために勉強しよう」というテンションで受験勉強をしてきた身ですから、そこら辺の分別はあります。「自分が帰属するものがなくなる」ことの「浮遊感」のようなものが嫌なんです。アイデンティティの薄化とでもいえましょうか。浮遊した自分がどこに飛んでいくかわからない。元の場所に帰ってこれるかわからない。

同じようなことが他にも言えます。学舎を卒寮する、サークルを引退する、大学を卒業する。自分を形作ってくれたコミュニティから離れるということは、縁が切れるわけではないにしてもやはり自分からアイデンティティの一部が剥離するということです。

ただ、これらは私が「自ら選んできたもの」である一方、「松重」は「選ぶまでもなく帰属してきたもの」であるという点で違いがあります。言うなれば、「自ら選んできたもの」は自分で勝ち取ったアイデンティティである一方、「松重」は無意識下から、根本の根本から私を支え続けてくれたアイデンティティなのです。

「これを失くすって、怖くないですか?」

これが今現在私を悩ませ続けている不安です。

考えたってどうしようもないことだってわかっています。ただ、わかっていても怖いもんは怖い。自分でその根本を作る、つまり家庭を築いたらどうなるかなとも想像してみました。ぶっちゃけ今の自分には、両親が僕を愛してくれたのと同じくらい私が自分の子を愛せるかわからないし、今の自分が「松重」に感じているのと同じくらいの帰属意識を感じられるかもわかりません。これこそそんな状況になってみないとわからないことです。考えるだけムダです。

ここまでうだうだ書き連ねてきました。繰り返しになりますが、考えたってどうしようもありません。誰しもが通ってきた道。どうにか昇華するしかありません。

 どうやって昇華しようか。それとも次第に忘れていくのか。わたわたしながら、一「社会人」として生きていこうと思います。

以上